布施川の支流・伊矢谷川に沿って50m入ると、眼前に展開する大飛瀑。その高さは20m以上もあるそうです。
古老の話によると、昔は赤羽ノ滝と称していたそうですが、江戸時代末頃より赤馬滝と呼ぶようになったそうです。当時、下畑では「たたら」が盛んで、その銑鉄を運ぶのに性質のおとなしい赤馬(赤毛の牛)を使っていました。運搬路は下畑から滝の上を渡り、伊矢谷を経て今津の銅山へと続く難路だったそうです。
ある年、その赤馬に仔牛が産まれ、毎日親牛のあとからかわいい姿で小路を往復していました。ある日、その仔牛が誤って足を滑らせ、絶壁を滝壺へと転落し、ついに底深く沈んでいきました。親牛の悲しみの姿は、端の目にもあまるほどでしたが、数日後、滝の上にさしかかるや、ひと声悲しく鳴いて仔牛のあとを追うごとく、滝壺に身を投じたそうです。里人は、この出来事を哀れんで、以来、この滝を赤馬滝と呼ぶようになったそうです。底深く沈んだ牛の角がはるか下流にぽっかりと浮かび流れたのを見て、誰となく角谷川と呼んだそうです。また、滝の周りの紅葉は親子牛を哀れんで年中どれかの小枝に赤い葉をつけているそうです。
昭和のはじめ、集落の有志によって滝壺の近くに観音堂が建てられ、訪れた人にこの伝説を物語っています。
天狗岩は赤馬滝の入り口にそそり立つ巨岩。その中ほどに突出しているのが天狗の鼻で長さ2mあまり。その下の口は、奥が八畳ほどの洞窟となっており、天狗は里からさらってきた姫を閉じ込めていました。
姫は里恋しさ、家帰りたさに岩をつたって逃げようと川端まで来ましたが、それより先は岸壁にさえぎられて逃れることができず、毎日毎日そこまで来ては父母を呼びつつ泣き崩れ、とうとう足元の岩に姫の足跡がついたそうです。里人は、このかわいそうな姫の足跡を見て「ぬりこし」と呼んだそうです。